spacer
spacer
北カリフォルニア丸ごと! Sports J interessespacer ttv

  go to home baitai koukoku restaurant classfied
space
時の人 スポーツJ「時の人」は
アメリカで活躍する方々をご紹介するコーナーです。
文化的、社会的に貢献されている人々に
さまざまな角度から焦点をあてご紹介いたします。
バックナンバー
2007年4月13日号掲載
日本家系図学会会長
与那嶺 正勝
mr.yanamine

「時の人」今回は日本家系図学会会長の与那嶺正勝氏にお話を伺った。氏は2万に及ぶか系図を研究し、家系の不思議な法則を発見した。氏はその研究成果をベストセラーとなって著書で世に問うと同時に活発な講演活動を行なっている。5月初旬には当地でも講演会が開催される予定だ。

PROFILE Masakatsu Yonamine
 
1950年沖縄県に生まれる
日本家系図学会会長。海部元首相をはじめ、2万件以上の家系を調査する中で、全く画期的な「縦横の法則」を発見する。1990年徳間書店より「家系の科学」を出版。1991年ビデオ「家系のふしぎ」を出版 同年「八方位姓名術」をA+A出版より出す(家系が全て姓名の集合で1976年より研究)京都府在住。雅号、東雲 家族は妻と息子二人。
 
 
歴史の探偵

 「家系図を10代遡ることで病気が治る」などと聞くと眉唾物だと思われるかもしれない。しかし、心療内科では医療行為として家系図が用いられたり、家系図画作成されたりしている。家族というのは、人間が形成されるときに最初に触れる環境であり、最も身近な環境だ。それが人の心に影響しないとする方が不合理だろう。そうだとしたら、その歴史をたどることは自分という存在を理解する行為の一つと言える。そして自分を理解することは心の問題を解決する第一歩だろう。
 「私は医者ではありませんから、それがどうしてかというとは説明できません。しかし、家系を辿ることで登校拒否などの問題が解決したり、病気が治ったりしていることは事実です。今、心療内科の先生たちとチームを組んでそのメカニズムの科学的な解明のお手伝いをしています。」与那嶺正勝氏はそう語る。
 現在、日本家系図学会会長を務める与那嶺氏が家系図研究の世界に足を踏み入れたのは全くの偶然だった。家系図研究の大家というと、さぞや子供の時から歴史好きだったのだろうと思いきや、「歴史というと暗記というイメージがあるでしょ。私は暗記っていうもが大嫌いなんですよ」と与那嶺氏は言う。将来は物理の先生になろうと考えていて、今はコンピューターが趣味だという氏は理系少年だった。そんな氏が学生時代、大学の図書館で偶然「沖縄の社会と習俗」という本が目にとまった。何気なくその本の開くと、その中の中根千枝氏の論文に与那嶺家の系図を発見した。そこから関心を持って自分のルーツを探るうちに家系図研究に目覚めたのだという。沖縄では一族を門中(むんちゅう)と呼び、太い絆で結ばれているという。ルーツを辿る与那嶺青年を古老たちが暖かく励ましてくれた。
 そして転機が訪れた。与那嶺氏が大学を受験したのは68年。翌年は安田講堂の年。70年代に入ると学生運動は凄惨な内ゲバの時代に突入していった。与那嶺氏が入学した琉球大学教育学部は革マル派の牙城であり、民青の勢力も大きかった。71年には両派の学生が衝突し、死者もでた。そんな殺伐とした世界を離れて与那嶺氏は北を目指す。「北への憧れがあったんですね」と氏は笑う。北海道で水飴などを扱う会社の営業マンとして道内を回った。
 北海道の田舎で氏が出会ったのは、息子や娘が都会へと去ったあとに残されたお年寄りたちだった。お年寄りを大切にし、家族の絆の強い土地柄に育った氏はその姿に大きな衝撃を受ける。「年老いた親を放っておくというのが信じられなかったですね」と氏は言う。そして入植者だったり、その子孫である北海道のお年寄りたちには自分のルーツへの想いが強かった。そしてある人にルーツ探しの手伝いを頼まれたことから家系図研究への熱意が加速していった。

 その後、埼玉県に移り住み、日本家系図学会に入会し、研鑽を積み、82年には家系の法則性を発見し、家系図研究の第一人者としての地位を不動のものとした。与那嶺氏は家系図研究の面白さは「歴史の探偵になること」だと言う。「手にした史料から仮説を立てます。その仮説を検証するためにさらに史料を探索し、それを発見した時の喜びは何物にも代えがたいですね。」氏はこれまで膨大な数の過去帳、村方文書、墓誌などを探索、調査した家系図は2万件に及ぶという。
家系図研究の可能性

 家系図研究の意味は単に知的関心を満足させるに留まらない。氏はこれから家系図研究の取り組むべき課題を三つ挙げる。
 一つは冒頭にも挙げた心療内科の医師、研究者たちとのコラボレーションだ。人間を身体面だけでなく、心理面・社会面も含めて総合的・統合的に診る全人的医療を行う心療内科には、名称に「心」の字が付いているためかまだ誤解が付き纏っているという。しかし、それでも心療内科への外来の数は増加の一途をたどっている。心療内科が扱うのは心身症、何らかの心理的・社会的要 因(ストレス)が、身体疾患の発現・悪化・または回復の遅れと関連があると考えられる事例で、対象は高血圧から糖尿病にも及んでいる。心象内科では薬物療法も試みられるが、「心」の側からの両方も試みられる。恐らくは家系図研究がその面で有効な寄与をなしうるという。
 二つ目は、自身の発見した家系の法則の研究を深めてゆくことだ。先祖の家族関係が子孫に反映するというというと、「親の因果が子に祟り」式の因果応報を説いているかのように聞こえるかもしれない。「因果」や「因縁」は仏教の言葉だが、与那嶺氏は「沖縄は仏教より儒教ですし、私は教会にも通いましたよ」と笑い、「私はそれを『風景』と呼んでいます」と言う。分析心理学の創始者ユングは西洋近代科学的な因果律では説明できない事柄を捉える仮説として共時性(シンクロ二シティ)という概念を説いたが、氏の語る「風景」の概念もそれを思わせるものがある。そして氏はこの風景は変えることが出来ると語る。風景は人の運命を閉じ込める牢獄のようなものではなく、自分の人生の意味と行方を読み解いてゆく地図のようなものなのだ。その中核には親と子の愛、そして夫婦の愛があるのだと氏は語る。風景の理論は愛の理論というわけだ。ちなみに与那嶺氏は大変な愛妻家だ。
 三つ目は家系図研究を通じて東アジア地域の平和と友好に貢献することである。日本、朝鮮半島、中国は古来より活発な人的交流の歴史がある。それを家系図の丹念な研究によって跡付けて明らかにしようというのだ。もちろんこれは植民地主義イデオロギーである「日鮮同祖論」を復活させようということではない。とは言え、日本人がこのような研究を行うことに対して「五族協和」「大東亜共栄圏」思想の亡霊という反発もあるのではないかと伺うと、氏は「いやそれはないですね。それには私が沖縄出身ということがよかったのかもしれません」と答えた。与那嶺家は琉球王朝の尚氏に遡ることができ、尚氏から「毛」という中国姓を与えられているという。
 このように氏の取り組む課題は遠大だが、家系の研究には障害もあるという。現在戸籍謄本の除籍簿の保存期限は80年になったそうだ。それを越えたものは破棄される。そのためこれから家系の調査が面倒になってくる可能性があるという。また、家系をたどることは同和問題との関係で問題が生じることもある。以前、ある小学校の学習の一環として自分の先祖を調べるという課題に取り組ませたところ、生徒達からは大変評判が良かったが、同和団体からクレームがついたことがあるという。また、自分の家系を調べる場合でも、「家系を調べる」と言うと同和問題との関係で、「先祖を供養する」ということ宗教的行為ということで役所は情報を開示しないこともある。ちなみに、そんな時には「ルーツを調べる」と言えばよいのだそうだ。

 偶然手にした一冊の本がきっかけで家系図研究の世界へと誘われた与那嶺氏。本といえば与那嶺氏の好きな作家は有吉佐和子。「紀ノ川」をはじめとして有吉の小説を愛読してきたという。「考えてみれば有吉佐和子の代表作には家系をテーマにしたものが多いですね」と氏は言う。日本には川が多い。緑の山間を絶えることなく流れてゆく川。それが日本人の「風景」なのかも知れない。


Sports J Co.
1533 Bayshore Hwy, Burlingame, CA 94010Tel: (650) 552-9230Fax: (650) 552-9227Mail: info@sportsj-usa.com
Copyright (C) 2006-2007 Sports J Co. All Right Reserved.