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2006年11月3日号掲載
ハヤシ・アセット・マネージメント
社長 ケネス 林 氏
ハヤシ・アセット・マネージメント社長 ケネス林 氏
ハヤシ・アセット・マネージメント社長兼CEOのケネス・林氏は
シンジケーションと商業不動産仲介、特に集合住宅の税先送り法を中心とした不動産事業を手がけ、成立させた取引総額は30億ドルを超える。
その成功ぶりはほとんど神話的だ。今回はその林氏の半生に成功の秘訣を探った。
PROFILE KENNETH HAYASHI
1966年 渡米、ウッドベリー大学入学
1972年 ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所入所
1976年 H・ブルース・ヘインズ・カンパニー入社
1978年 独立
ケネス・S・ハヤシ・コーポレーション設立
現在 ハヤシ・アセット・マネージメント社長兼CEO
「カリフォルニアの不動産王」の波乱の半生
青年は荒野を目指す
父と息子の葛藤。旧世代の価値観と絶対的な権威で立ちはだかる父に時には惹かれ時に反発しつつもがく息子。そして息子は旅に出る。どこかにある「自分」を見つけるために。旅は往々にしてわざわざ困難を求めるかのようなものになるだろう。ケネス林氏の場合もそうだった。
林氏の父親は戦後の混乱期、日本人の多くが焼け跡でその日その日の食べ物に頭を悩ませていた頃、進駐軍を相手に不動産で冨を築いた。今風に言えば見事な「勝ち組」だった。林氏はその裕福な家庭に5人兄弟の長男として生まれた。父親は息子たちに自らが築き上げた「家」を守ってゆく人生を求めた。「ところが私は商船大にでも行って船に乗って世界を見てみたかったんですよ。」もちろん父親は長男にそんな生き方を認めない。そして林氏は家を出る決心をする。「父親の仕送りなしで自分自身の力で大実業家になるんだと思いました。」
青年の目指す荒野はどの方向にあったのか。「私はカトリックの学校に通っていてフランス語ができたのでソルボンヌ大学にでもゆこうかと思ったんですが、ビジネスだったらアメリカだなと思い、イェールにもアプライして許可が下りたんですが、お金持ちの坊ちゃん学生と一緒というのも潔しとしなかったのでロスにゆくことにしました。」こうして反逆心と野心を心に抱いた青年は片道切符で日本を脱出する。父親の二年以内に帰ってこなけりゃ勘当だ」という言葉を饅に。1966年、林氏20歳のときだった。この年、ビートルズが来日、アメリカ人のような生活を目指して高度経済成長をひた走る日本人の間では「新三種の神器」という言葉が生まれた。
しかし、アメリカに徒手徒拳でやってきた林氏を待っていたのは、日本人がやっと手に入れたカラーテレビのブラウン管から覗いていたアメリカ人の優雅な生活ではなかった。渡米して3日後時給1ドル15セントの皿洗いの仕事と見つけ、家賃45ドルの部屋をルームシェアして大学に通い会計学を学んだ。文字通りの苦学生だった。おまけに、と言っては失礼だが、大学で出会った女性と学生結婚。奥様は学校をやめ、林氏は昼間仕事をしながら夜間に大学に通うという生活となった。苦しい生活の中、林氏を支えていたのは志と反逆心、そして何より「家族の存在」だ。「結婚したのが21歳で、子供も生まれて極貧生活を送っていましたが、妻は愚痴ひとつ言わずに支えてくれました。」歯を食いしばって二人三脚で頑張った。
そして苦労が報われる時がやってきた。サラリーのいい会計の仕事を見つけ、将来は公認会計士になろうかと思っていたところ超一流の会計事務所ピート・マーウィック・ミッチェルに引き抜かれたのだ。アメリカン・ドリーム? 人はそう言うのかもしれない。
成功の甘き香り
苦学して実力を養い、一流の会社に入って高給をとる。もちろんそれは立派なことだが、そこまでの人ならアメリカには掃いて捨てるほどいるだろう。むしろ林氏の成功物語はここから始まる。「そこそこのマイホームにちょっとしたマイカー。自分の目指していたものはこんなもんだったろうか、と思いました。」確かにそこまでなら日本で父親の言うがままの人生を送っていても手に入っただろう。林氏の反逆心に火がつく。人も羨む大会社をあっさり辞めて小さな不動産会社に転職した。「会社の大小は関係ありません。ピート・マーウィック・ミッチェルの重役たちは高学歴ですが、たいした金持ちじゃあない。でもその不動産会社の社長は高校もろくに出ていないのに億万長者なんですよ。よし自分も不動産の世界で、と思いました。」
そして林氏は入社1年でその社長の業績をあっさり抜きさってしまう。一体その秘訣はどこにあるのだろうか。「皆さん私にその質問をします。『ミスター林、成功の秘訣を教えて下さい』ってね。でもね、私はなにか自分のやったことに秘訣があったとか、自分に特別な才能があったとか思わないんですよ。ただ言えることは『Work Hard』。例えば当時私はアパートのオーナーの名簿片手に集中的に電話をかけました。一日に600本はかけましたね。とにかく一生懸命働くこと。今でも私は朝早くから夜は誰よりも遅くまで仕事をしてます。寝ても覚めても考えるのは不動産のことばかりです。それから商売ではお客様の信頼を得ることが大切です。税務の知識を生かして、顧客の税務相談にのり、無料で税務申告書まで作ってあげました。」
抜群の成績の林氏に会社は副社長のポストを用意した。もちろんそこでよしとしてしまう林氏ではない。オファーを蹴って独立。ついに一国一城の主となった。1978年のことだった。「当時カリフォルニアは不動産ブームに沸いていました。こんなに儲かるのなら、いっそ独立して自分でやってみようと決心しました。」独立したら前年の4倍も稼いだ。そこからはまさに昇り竜。ついに年商2800億円。所有ビル845棟という大成功、というより神話的成功をおさめるに至った。林氏は当時を振り返って「とにかく贅沢してました」と語る。「車だってベンツ、ポルシェ、ロールスロイス、フェラーリ、ありとあらゆる高級車を並べて乗り切れません。10本の指全部に高価な指輪をしてサインがしにくいなんて言って笑ってました。会社に私に会いにきたって、次から次へと雇った美人秘書を掻き分けてゆかないと私に会えないような状況でした。」
私には夢がある
まさに頂点に立ったかと思われたとき、すべてが足元から崩壊した。1991年林氏は破産する。破産に至った要因について林氏は、「当時多くの企業が税務対策のためにカリフォルニアから流出。それにともない人口が激減、景気は一気に悪化しました」 と分析する。「そして私自身まだ『本物』じゃなかったんですな。私が本物になったのは一度破産して地べたに這いつくばって、立ち上がりまた戦うために同じ不動産ビジネスというリングに戻ってきたときですね。」
そして林氏は再び勝利した。もちろん、戦いである限りそこには勝つためのヨミがある。「私はカリフォルニアの景気は好転し、人口も増加してゆくだろうと思いました。そして実際そうなったのです。現在、南カリフォルニアでは人口増加のなか、不動産マーケットは好調が続いており、この状況はおそらく半永久的に続くでしょう。先ほど成功の秘訣の話をしましたが、もし私がビジネスをしたのがカリフォルニアじゃなかったらここまでこなかったでしょう。そういう意味では成功は『たまたま』なんですよ。」
たまたまで、取引総額30億ドルを越えるビジネスを育成できるのだろうか。「だからWork Hard。そして私には夢があるのです。今後は日本各地に支社を設立して、投資顧問業として日本の方たちにも不動産投資の面白さを経験して欲しいと思っています。そして皆がミリオネアとして育ってゆくよう指導してゆこうと決意しました。今の日本は何か閉塞感が漂い、夢をもてない。だいたいリーダーたちからして生き生きと夢を語ることができない。『じゃあオレが』っていうほどじゃありませんが、皆さんに夢を語りその夢の実現のお手伝いをしようというわです。」
林氏にはもう一つ夢がある。フィリピンに土地、建物を購入して何千という孤児たちに住むところ造り、小学校から大学まで提供することだ。そしてこちらも実現へと向けて動き始めている。「フィリピンにはストリートチルドレンと言われる孤児がたくさんいます。初めてフィリピンに行ったときにその惨状を目の当たりにし、泣きました。これは何とかしなければと思いました。」林氏はお金を提供するだけではなく、自身足繁くフィリピンに出向く。「ゆくと子どもたちが私のことを囲んでね。それで『よし、なにかおいしいいものを食べに行こう』ってね。そのときの嬉しさ、楽しさは経験しなけりゃわかりませんよ。」
今は自身の生活もシンプルだ。「お金はあっても、もう以前のような贅沢はしませんね。車も国産車を便利に乗ってるし、時計も日本のアメ横かなんかで買ったのを喜んでつけてますよ。」最後に林氏に「成功」の尺度について聞いてみた。「人間、どれだけできてるか、ということじゃないでしょうか。」なるほど、お話をうかがっていて皆が知りたがる林氏の成功の「秘訣」が少しわかったような気がする。それは夢を見ること、そして自分の夢を裏切らないことではないだろうか。
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